おじさんの告白〜本当のこと


2020/6/5は最愛の妻、裕子さんの命日。

裕子さんの治療を止める決断をしたのは私です。

あと2日待てば麻酔から目覚めさせるという状態まで持ち直して家族親戚も喜んでいたのに、当日の朝、主治医から今朝早くに脳死していました、と説明されました。

右脳だから決して目覚めることはないが、人工呼吸器、管だらけの植物人間の状態でギリギリまで生かす方法もあります、と主治医から説明を受けました。

さらに「今後どうしますか?」とも。

でも、その延命治療には裕子さんの尊厳はないように感じました。

誰が悪いわけでもありません。誰を責めるつもりもありません。

ただ、脳死して助かる見込みがゼロなのに、骨と皮になって死ぬのを待つの?
私はそれを選択してはいけない、と思いました。

思い返せば、入院直後に意識がある状態で人工呼吸器にした時、そして一度持ち直してから外した人工呼吸器を再度付け替えする時も本当に苦しそうでした。

私でさえ、もうICUでその様子を見ていられないほどでした。見守っている私の方が気が狂うような壮絶な光景でした。

口から喉に入れる人工呼吸器なんて本当に苦しいだろうね、嫌だろうね。


どうしようも出来なくて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

人工呼吸器を取り付けた後は麻酔によって眠らせて、意識がない状態で投薬を続け、途中、感染症を防ぐために喉を切開して改めて人工呼吸器を取り付けました。

そんな小康状態の中での突然の脳死。

肺だけじゃなく、多臓器不全、さらに敗血症で毎日何リットルも血液を交換して、トイレにもいけず、本当に苦しかったと思います。

だから私はとにかく早く苦しみと痛みから解放してあげたかった。

私は全ての治療を止めるようにお願いしました。

主治医からは投薬を辞めたら24時間以内には息を引き取ると言われました。そしたら人工呼吸器を外しましょうと。


私は、サインしました。

病院、主治医、ICUの師長からは、なかなか決断出来ないことだと慰められました。もちろん、
家族、親族からも不満の声があるのは知っていました。逆にその決断をそっと支持してくれた親族もいました。

でも、とにかく、これ以上裕子さんを苦しめたくなかった。

今、こうして4年経ってみると、その決断が、重い。とてつもなく、重く心にのしかかります。

私は、世界中で一番愛した人を殺してしまったんじゃないかって。

最も愚かな、恐ろしい決断をしてしまったんじゃないかって。



悲しむ間もなく日々が過ぎ、納骨も終わり、秋になる頃には子供たちもようやく立ち直り、巣立ちして行くのを見届けることが出来ました。

私は独りになり、すぐに復帰。毎日毎日、1日も欠かすことなくTwitterをやって、エフェボーチャンネルの収録と編集に没頭することで裕子さんが亡くなった現実から逃げていました。

仕事が終わると急に力が抜けて、怖くなって、午後になると酒を飲んでいました。雨の日は朝から泣いてました。夕方、暗くなると泣けてきて、怖くて暗くなる前に飲んでいました。転げ落ちるような毎日でした。

弱いんですよ、エフェボーおじさんは。


主治医の先生は、右脳が死んでいるから、決して目を開けないし、目を開けたとしても人を認識出来ない、意思疎通は出来ないと説明していました。そして、投薬を中止してから24時間くらいでゆっくり息を引き取ると。

しかし裕子さんは息を引き取る最後の日までに一週間も頑張りました。病院側も驚いていました。

さらに、黒ずんでいた顔も、触れるだけで出血してしまうような肌が一皮剥けて、日に日に元の健康そうな色に戻りました。

普通なら2ヶ月もICUにいたらげっそり痩せ痩けるのに(そりゃそうだ、何も食べてないんだから)、裕子さんはふっくらとした元気な状態に戻りました。


すげえ、さすが裕子さん!
隠れて何か食べていた?というくらい。

そして息を引き取ることになった日の早朝に、突然、目を開いた裕子さん。

嘘でしょ?

でも、確かに目を開けて私を、見ている。

私は「大丈夫だからね」と、嘘を言いました。


治療を止めるサインをしたのに…。

裕子さんは、本当は大丈夫じゃない、もう本当のお別れになることを知っているかのようでした。

少しの間ですが、確かに見つめ合い、意思疎通が出来ました。

私は謝るように「大丈夫だからね」と言うしかありませんでした。

心の中ではゴメンねと繰り返していました。

俺はなんて事をしたんだろう!


喉には人工呼吸器が付いているから、声を出すことは出来ないけれど、確かに裕子さんと見つめ合い、夫婦の最後の会話をしました。

麻酔で眠らせてから1ヶ月以上意識が戻らない状態だったのに、旅立つことになった当日に、自ら目を開けるなんて。

治療を止めてしまって、ゴメンね。


別れの日を思い出す度、目を開けてくれたことが奇跡のようで嬉しい反面、裕子さんを殺したのは自分なのでは?と自問自答する毎日です。


その恐ろしさから逃げてきた四年。
そして、あの決断と死から、私の「時」が止まっています。

もう4年か。嘘だ、昨日のことでしょ?

日に日に苦しさが募ります。


でも、気が狂いそうな毎日でも、エフェボーのユーザーの皆さんやTwitterのフォロワーさんとの交流のひとときが私を救ってくれました。

ですから皆さんに心から感謝したいんです。


ただ、あの決断について、何気ない日々を重ねるうちに、私の心は耐え難く、壊れそうでした。

というか、ほぼ、壊れかけてました。それでも毎日、おじさんなりに、全力でがんばりました。

年が明けると、ちょうど私の手術が待った無しになりました。酒も止めなければなりませんでした。そこで活動をしばらくお休みする宣言をさせて頂きました。

ところが、手術が終わっても体調は戻らない、緊張の糸が切れたように気力も戻らない…。

腑抜けていく毎日。

それならば、このお休みをしている期間を延長して、奥さんの死に向き合ってみよう、もう一度生きる意味を見つめ直そうと考えました。


趣味、奥さんでした。

12年前に胃癌を患った時、奥さんだけは味方だった。


エフェボーを立ち上げた時、起業した時も。
いつも裕子さんは味方だった。

自分勝手に生きてきた私は、裕子さんのためだけに生きようと決意して、やがて癌から立ち直ることが出来ました。

私の生きる意味は、裕子さんと毎日幸せに過ごすことでした。
毎日が楽しかった。朝から笑っていました。
幸せでした。


死別は苦しい。
受け入れられない。

趣味の人が、最愛の人が、先に旅立ってしまった。
どうすれば、いい?
皆さんなら、どうしますか?

私の願いはたった一つ。
裕子さんに、会いたい。


「生きている」貴女に会って、触れたい。

そして、謝りたい。

あの時、ゴメンね。

独りで逝かせて。

治療を止めてしまって。

生きている貴女に、触れたい。
ただただそれだけ。

あとは何もいらない。


でも、それは決して叶わないんです。



最後に、こんな愚かなおじさんから皆さんに
どうしても伝えたいことがあります。

それは、すごい発見をした!ということ。

エフェボーおじさんは奥さんに出逢えたということです。


世界中で、いや、宇宙でたった一人、本当に、本当に巡り合いたかった人とついに出逢えたんですよ。

そして26年、心の底から幸せだったということです。

夢のようでした。

離れ離れになってから

 

「ああ、俺は、裕子さんに出逢うために生まれてきたんだ!」

って分かったんですよ。すごい発見を裕子さんを亡くしてから、実感してるんですよ。

その一瞬一瞬をもっと噛みしめれば良かった。笑ったことも、泣いたことも、同じ月を見上げた夜も、別れの日々も、全てを記録しておけば良かった。

 

入院初期、一度だけ人工呼吸器を外せるくらいに肺が回復しました。

 

喉から管が抜けた直後で声は出せません。筆談で会話しようとしましたが、手に、腕に、指に力が入らない。

 

震える手で何分もかけて最初の言葉は「ありがとう」と。

涙が溢れました。

続いて「あい…」と書いて、その後は文字になりませんでした。

 

食べるのが好きな裕子さんだから、アイスクリームが食べたいのかな、と問いかけますが、首を振ります。

 

 

最後は文字盤でやりとりをしました。

そして、その真意に言葉を失い、立ちすくみました。

 

「あいたかった」

 

私は毎日、朝一番から夜遅くまで面会時間ギリギリまで控え室で待機して、いつ呼ばれても良いように居座っていました。そして意識がなくても毎日ICUに入れてもらい、手を握り、顔を見ていましたから私だけは裕子さんに毎日会っていた気になっていたんですね。

勝手な私…。

でも、裕子さんは人工呼吸器を取り付けて苦しい中、ずっと私を待っていたんですね。

ずっと、ずっと私に「あいたかった」んですね。


まるで何年も生き別れになっていたかのような、それでいてシンプルで、純粋な言葉に打たれました。私は目を見て「ずっと側にいたんだよ」と言いました。

 

苦しい間も私に会いたかったんですね。あの時、苦しい中でも意識がある時に会えて、真意を知ることが出来て、良かった。


本当はね、4年間、この言葉を思い出さないようにしていました。苦しくて。

でも今は裕子さんからの「あいたかった」は私にとって「愛してる」に等しい、これからの人生で絶対に忘れられない、大切な言葉なんだって、気付いたんです。そして皆さんにどうしてもこの言葉と共に最後のメッセージを伝えたかった。

 

それは、皆さんも大切な人に出逢えますように、ということ。

 

「あいたかった」

 

と、心の底から思えるような人と出逢えますように。


その人の命を、存在を守りたいと思えるような、そんな大切な人と共に歩めますように。

そして、大切な人を、ご家族を、一族を大事に大事にされますように。


生きていればね、誰でも、泣きたくなることも、叫びたくなることも、投げ出したくなることもありますよ。

それでもいいじゃないですか。

でも、エフェボーおじさんのように、決して後悔なんかで自分を責めることがないよう、それだけはお伝えしたかったんです。

そして、大事な人を見つけたら、その手を離さないで下さい。

決して離さないでください。

二人なら生きていけます。


皆さん、ありがとうございました。


エフェボーユーザー・フォロワーさん、エフェボーチャンネルの登録者の皆さん、業界の皆さん、エフェボーに関わる全ての人は、エフェボーおじさんにとって大切な人だったことを、今日、知りました。

奥さんと同じくらい、大切な皆さん。

ありがとうございました。


これが、エフェボーおじさんの告白。


エフェボーを閉じる本当の理由。

今はね、もう耐えられないから、無様に堕ちていく姿は見せたくありませんでした。

ナハハ、スンマセン。

弱いんですよ。

でも、それが、俺だ。
 

少しの間、旅に出ます。

そして、この先、
生きていく意味、意義を見出したら
また、パワーアップして戻ってきますね。

音楽とバンドと、楽器と、そして
エフェクターが好きですからね。


どうしようもなく、ボードを組み直したいんですよ、おじさんは。


感謝を込めて


2024/7/31
 エフェボーおじさん